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浦安と住まいを探求するうら・ラボ


浦安の液状化と向き合った17日間~東日本大震災ボランティア活動の記録【1】

2011年の東日本大震災からもう5年がすぎました。

今年は大分・熊本地震があったりして、
日本が災害大国であることを思い出させられます。

東日本大震災で、浦安は液状化の被害にあいました。
そのとき浦安青年会議所のメンバーとしてボランティア活動を立ち上げたときの記録を残しておこうと思います。

 

3月11日(地震当日)

2011年3月当時、私は浦安青年会議所にまだ属していました。東日本大震災発生時は妻と東京ビックサイトに展示会を見に行っていて、2回目の地震で展示会が中止になり、急いで浦安に帰ってきました。

その時の帰りの車の中で見た津波の映像は今でも忘れられません。

浦安に着くとディズニーリゾート付近の歩道が大きく膨れあがって、
斜めになっていました。後で分かりましたが、これが液状化現象そのものでした。

妻を家に送り、私は浦安市内を車で一通り廻ってみることにしました。

今でも一番印象に残っているのは、「富岡交番」です。
斜めに沈んでいました。これはとんでもないことが起きたと実感させられました。

富岡交番
↑富岡交番。現在は建て替えられました。

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↑水が噴き出してきた道路(舞浜3丁目)

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↑液状化で盛り上がった土管(高洲地区)

3月12日(ボランティア初日)

朝7時頃、わたしは浦安市役所に赴き浦安青年会議所で出来ることは何かを聞きに行きました。

浦安市役所では災害本部を青少年センターに置いていると言う事だったので、そちらに向かいました。

青少年センターの災害本部はてんてこ舞いの様子でした。
知り合いの新聞記者の方から、「浦安青年会議所の出来ることはきっと災害ボランティアセンターにありますよ」と教えていただき、災害ボランティアセンターが開設される浦安市総合福祉センターに向かいました。

総合福祉センターに着くと、そこには災害ボランティアセンターが開設されており、ボーイスカウトの男の子が2名先に受付をしていました。私は3人目でした。

しかし、平成23年3月12日当時はまだ災害ボランティアという制度は知られていませんでした。

東日本大震災で災害ボランティアセンターを開設したのは、確かめていませんがたぶん浦安市が最初だと思います。

何事も初めてづくし。
ボランティアは集まりませんでしたし、被害にあった方からボランティアに作業の依頼もありませんでした。

私は浦安青年会議所の会員に連絡し、災害ボランティアセンターに集合を呼びかけました。そして15名が集まり、舞浜2丁目3丁目で他のボランティアと一緒に泥かきをしました。

この日は最終的には39名のボランティアで作業しました。